2024年01月03日
普通 お散歩フォトライター
1月3日
新年は元旦から能登地震の揺れと津波、2日はその救援物資などを運ぶ飛行機と民間旅客機の衝突爆発と、惨事が続いています。
不幸にして亡くなられた方のご冥福と、救助を待つ方々の一刻でも早い救援を望みます。
少し無理をして動くと、また慢性GVHDの症状がでてしまうリスクのある私は、散歩や食料品の買い出し以外はほぼ、大阪の妻の実家内におせわになっています。
今回は、上記の惨事の状況なので、テレビにくぎ付けになっていました。
それでも、気持ちの上で救いだったのは昨日2日の箱根駅伝往路をテレビで見ていることができたことです。
往路優勝した青学と、駒沢大とのし烈な首位争いは見ものでした。
この番組のスポンサーのサッポロのCMも見ごたえがありました。
特に駅伝100回記念として、往年の駅伝選手がさりげなく登場するCMはいい感じでした。
もちろん、元選手たちはすっかりいいおじさんになってますが。
第100回箱根駅伝 100回。その先へ篇 60秒
https://www.youtube.com/watch?v=jDqiSkGtNLM&t=6s
同じく、大会中に放送されたサッポロ生ビール黒ラベル「大人エレベーター」シリーズも好きで気に入っています。
三笘薫選手、妻夫木聡と語り合う サッポロ生ビール黒ラベル「大人エレベーター」新CMに出演
https://www.youtube.com/watch?v=Pry7xm6npjw
このなかで、三笘薫選手が「サッカーとは」と問われて、「普通に散歩する感じ」と笑いながら答えています。
以前、水泳選手が練習で毎日何キロも泳ぐことを、これまた「散歩している感じ」といっていたのと重なりました。
上記の二人とも競技スポーツをしていないわたしからしたら、とても「普通に散歩」とは思えませんが、日常にそのルーティンが組み込まれている人からしたら、「普通」の感覚なのでしょう。
今日1月3日は箱根駅伝往路が朝8時から始まります。
これを、見続けると散歩に出れなくなるので、とこかで切り替えて私の普通である「のんびり散歩」に出る予定です。
写真は今朝の大阪の朝焼け。
今日は、惨事のない「普通」のお正月三が日になるように、祈ります。
2023年12月26日
さて5年後 お散歩フォトライター
12月26日
松本大学在学中に取得した健康運動指導士の更新済みの書類とカードが届きました。
健康運動指導士の資格は取得しただけで、更新をしないと車の免許と同じに資格がなくなります。
更新のためには更新料22,000円のほか、更新に必要な単位を取得するための講習を受講する必要があります。
健康運動指導士の場合、必要数20単位以上 うち実習5単位以上 更新必修講座受講の受講となっていました。
あと、暫定でコロナ禍のため実習部分を一部ビデオ実習などで振替可能という救済処置がされていました。
私はコロナ禍前に実習5単位にあたるものを取得していて、さらに骨髄異形成症候群とわかる前に、その他座学の単位も取得していたので、申請には問題ありませんでした。
これで、つぎの5年間も一応健康運動指導士の資格保持者でいられます。
健康でない、健康運動指導士ですからあまり胸は張れませんが、どんな活動ができるでしょうか?
健康運動指導士の資格がとれた5年前の2018年10月、57歳の私は、これで色々運動と健康とをあわせた活動ができるとおもっていました。
・地域での高齢者運動レクレーションの継続と、実施場所の拡充。
・健康経営アドバイザー(初級)資格の取得して地域活動と健康経営の連携。
・筋肉の老化について大学院でさらに深堀して、論文の形にまとめる。
ただ、その後のコロナ禍と世界各地の戦争、自分の血液ガンの発覚、再婚などで思い描いていた5年後とかなり違う世界にいる感じです。
筋肉の老化の論文発表と健康経営アドバイザー資格の取得はできていますが、その先の応用活動が一切できていません。
また、骨髄移植から1年以上たちましたが、まだ慢性GVHDの治療が長引き、通常免疫がないため、運動を指導するどころか、人込みに入ることすら制限されたままです。
次の健康運動指導士の更新になる、5年後は2028年。
私は、67歳となり、65歳からの年金をもらっている状態です。
すくなくとも、その前に慢性GVHDの治療を終了し、人並みの免疫を取得しているはずです。
その期間、いかに運動能力を落とさず維持できるかがポイントです。
病気でない一般の人も中年から運動機能は低下しますが、60歳以降は一気に急降下となるデータが示されていて、松本大学の授業でも何度もとりあげられていました。
これからの私の経験が、何かに活かせるよう、体調管理と筋力の維持につとめて5年後の2028年も健康運動指導士の資格を更新していきたいですね。
そして、そのまま活動して健康運動指導士の最高齢記録の更新が夢です。
(2019年現在の健康運動指導士登録者の最高齢 男子86歳、女子84歳)
健康運動指導士・健康運動実践指導者実態調査結果報告書
https://www.health-net.or.jp/tyousa/houkoku/pdf/jittaityousa.pdf
写真は認定書のビフォーアフター
放射線治療等で、完全に抜けた髪の毛が5年後どこまで復活するのか、これも見ものですが(^^);
2023年12月17日
飛べず お散歩フォトライター
12月17日
今回12月、一旦安曇野に帰省することにしていました。
理由はもちろん体調が、安定しているからです。
骨髄移植後の慢性GVHDの症状は相変わらず出ていますが、非ステロイド系の抑制剤を1か月前に、いままでのものから変更しました。
以前
・イムブルビカ140mg B細胞活性化阻害薬
現在
・ジャカビ錠5mg 骨髄線維症にかかわるたんぱく質(ヤヌスキナーゼ)の働きを選択的に阻害することにより、骨髄線維症による脾臓の腫れ(脾腫)を縮小します。
この新しい抑制剤は私にはよく効いたようで、口の中の腫れや皮膚の赤みがうすくなりました。
それ以上に、気分がいい状態なので、気持ちが前向きです。
この2つの薬ともここ1,2年で一般的に使用されるようになったものです。
それまでは、ステロイド系の抑制剤だけでの治療だけだったようです。
なので、ステロイド系の抑制剤を減らしつつ、非ステロイド系の抑制剤で免疫の過剰反応を抑えることができてありがたいです。
ステロイド系の抑制剤は、とてもよく効きますが、副作用も多いため、長く使いたくないです。
ただ、ステロイド系の抑制剤と非ステロイド系の抑制剤のバランスを2週ごと血液検査を踏まえて切り替えていかないといけないですが。。。
移動前日に通院で、帰省について主治医の了承をもらえました。
今回は、葬儀等の処理は関係ないので、家の片づけや、息子らにあうことが目的でした。
免疫の関係で、外食ができないので、家で焼肉ですね。
前回の帰省と違い、雪の心配があったので車での移動ではなく、神戸―松本間は飛行機(FDA)としました。
12月15日は大阪から神戸空港に移動し、チェックインまで無事すみ、あとは荷物検査をまつだけになっていました。
ただ、暫くして
「FDA 松本便は松本飛行場強風のため欠航になりました」
という、場内放送がされはじめました。
いままで、雪や霧などで欠航の話はきいてましたが、12月に強風で欠航とは思ってもみませんでした。
フライト変更などは、受付カウンターではできずネットで対応ということで、一旦帰宅して対応することにしました。
すぐに、大阪の自宅に帰宅のため移動を開始しましたが、しっかり夕方のラッシュにあたり、帰宅したときはすっかりへとへとでした。
8月に疲労から、自分の内部細菌にやられて出血性膀胱炎になったことをふまえて、今回の移動そのものを辞めることを選択しました。
自宅の片づけなど、気になることはありますが、まずは体調優先ですね。
写真は、残念な表示をしている神戸空港の掲示板。
次は飛びたいですね。(^^)
2023年11月17日
干し柿セットその後 お散歩フォトライター
11月17日
10月末から吊るしてつくっていたものがあります。
以前ブログで書いた、干し柿セットです。
以前のブログ
https://inandout.naganoblog.jp/e2751534.html
10月末はまだ温かく、うまくできるのかわかりませんでした。
干し始めて2週間後にもむことと干し柿の取説には記載されていたので、もんでみるとまだぐにょぐにょで、干し柿初めての素人がみてもまだな感じでした。
それが、このところ、大阪でも日中の寒暖差がでてきたので、この1週間ほどでみごとに柿の実が締まってきました。
色もいかにも干し柿という茶色になりました。
干し柿が好きな私は我慢できず、早速、試しに1つたべてみました。
渋みは確かになくなっていますが、甘みもまだしっかりしていない感じです。
もう少し甘みがあればいいと思ってしまいますが、いかんせん普段食べなれている南信州特産の市田柿と自然と比較してしまっているので、無理なのかもしれません。
毎年、年末年始は市田柿を購入し食べているので、これと比較してしまうのは、手作り干し柿には分が悪すぎですね。
ここ最近の急な温度変化で、私は咳風邪になって、医者から薬をもらっても2週間ほど治らないことを思えば、不順な天候で、カビなど生えずに干し柿になってくれたので、十分に良しとしましょう。
柿が赤くなると医者が青くなるという柿(干し柿ですが)をいただいて、しっかり風邪を治したいですね。
写真は、干し柿ぽくなった柿たち
2023年11月17日
干し柿セットその後 お散歩フォトライター
11月17日
10月末から吊るしてつくっていたものがあります。
以前ブログで書いた、干し柿セットです。
以前のブログ
https://inandout.naganoblog.jp/e2751534.html
10月末はまだ温かく、うまくできるのかわかりませんでした。
干し始めて2週間後にもむことと干し柿の取説には記載されていたので、もんでみるとまだぐにょぐにょで、干し柿初めての素人がみてもまだな感じでした。
それが、このところ、大阪でも日中の寒暖差がでてきたので、この1週間ほどでみごとに柿の実が締まってきました。
色もいかにも干し柿という茶色になりました。
干し柿が好きな私は我慢できず、早速、試しに1つたべてみました。
渋みは確かになくなっていますが、甘みもまだしっかりしていない感じです。
もう少し甘みがあればいいと思ってしまいますが、いかんせん普段食べなれている南信州特産の市田柿と自然と比較してしまっているので、無理なのかもしれません。
毎年、年末年始は市田柿を購入し食べているので、これと比較してしまうのは、手作り干し柿には分が悪すぎですね。
ここ最近の急な温度変化で、私は咳風邪になって、医者から薬をもらっても2週間ほど治らないことを思えば、不順な天候で、カビなど生えずに干し柿になってくれたので、十分に良しとしましょう。
柿が赤くなると医者が青くなるという柿(干し柿ですが)をいただいて、しっかり風邪を治したいですね。
写真は、干し柿ぽくなった柿たち
2023年10月28日
干し柿作成セット お散歩フォトライター
10月28日
高速道路移動中の休憩時、サービスエリアの売店でみつけたものがあります。
それは「干し柿作成セット」です。
セットの内容は、干し柿の作り方の説明書と、渋柿10個ほどへたの部分がT字型にカットされてついていて、それをつるす紐もセットされていました。
この先、皮をむいたり、むいた後に酢をぬったりなどは、各自でやる形なので、セットというより、作成キットという感じでしょうか
現在も私は爪がおかしい(通常の厚さの1/3)ので、皮むきは妻におねがいしました。
できあがって、ベランダに干すのですが、雨などの時は室内に取り込むので、洗濯用フックにつけています。
今後は、取説によると
「10日位たって全体がやわらかくなったらもむ
3週間から1か月くらいが食べごろです」
とあるので、天気にあわせて出し入れする日々が続きそうです。
信州ほどではないですが、最近は大阪でも朝晩の寒暖差がでてきているので、出来れば普通に食べれるレベルのものになってほしいですね。
写真は、洗濯フックにぶらさげたむいた渋柿たち。
2023年09月24日
2年前の会話 お散歩フォトライター
9月24日
またまた、お久しぶりです。
先週は母の49日法要があったので、短期間ですが安曇野に戻りました。
一応主治医の了承はもらったのですが、
「今後は、体調崩さないように」
と、しっかりくぎをさされての帰省でした。(^^);
なので、安曇野にいる日数も最低限にしました。
移動方法も飛行機から車に変えて、移動ストレスを減らしました。
神戸ー松本間はFDAで約50分と早いのですが、途中の乗り換えを考えるとトータルで5時間ほどかかります。
今回車の移動では高速を使ってはいますが、5時間半ほどで帰宅できました。
さらに、飛行機などでは乗り換えの度に荷物を持っての移動が生じます(飛行機でもその前後で6回)が、車だと一度のせれば、安曇野までノータッチで済むので助かりました。
また、飛行機の時のようにバッテリーとか入れるものを注意する必要もないのも、荷物作りが楽にできた要因です。
葬儀の時は長男にお願いした法事を、今回は近親の親戚だけですが、リアルに顔を合わせて話ができたのはありがたかったです。
今回の法事の食事ですが、コロナ禍がまた広がっているため、会食はあきらめ仕出し弁当にしました。
友人のアドバイスももらった上、母が好きだったものを詰め込んだものにすることにしました。
息子らと何か好きだったかリストアップしていきました。
母は脂っこいものが得意ではなかったのですが、唯一ウナギだけは好きだったので、ウナギをメインにして、あとほかに好きだったものをいれてもらうということに息子らと決めました。
メインのウナギの他は、鮭塩焼き、帆立貝柱煮込み、薄トンカツ、サツマイモ、かぼちゃ、レンコンの天ぷら、きゅうりの粕漬、ミカンなどリクエストしたものが盛り込まれました。
あと、ウナギに合う日本酒も一合瓶と小さいですが、仕出し弁当さんにチョイスしていただけました。
母とは、以前から「もしも重い病気になった時」のことはなにかと話をしていました。
例えば、「終末期は延命治療はしない」というのがありました。
これは、自分もそう思っているので、息子らや妻にもそう伝えてあります。
私も、母もたくさんのパイプにつながれて延命だけのために横たわっているのは、良しとしないという考えが一致していました。
そういったもしもの時の話の1つで、「自分が亡くなってしまって、法事で集まってくれた方には、とにかく食事をしっかり食べてもらってほしい」
というのがありました。
太平洋戦争の時、成長期だった母としては、美味しく満足できるだけの量食べれるというのは幸せの一つと思えているのでしょう。
今回、母の好きだったものでいっぱいの仕出し弁当を参列者にお渡しすることができて、ちょっと母の思いが実行できたかなと感じています。
そのもしもではなく、本当に私がガンになっているとわかった2年前の4月に、母よりいわれた言葉があります。
「どちらが長生きするか、競争だね」母当時90歳
私は、「どちらも、出来るだけ元気に長くいきたいね」私当時59歳
と答えました。
私は、約1年前の骨髄移植でなんとか、乗るか反るかの賭けにかって、後遺症で入退院をくりかえしていますが、比較的元気です。
母は、同じ1年前に今後2か月後の生存率が50:50といわれていたのが持ち直し、この8月まで頑張ってきました。
私は今後も、どんな状況になろうとも、母のように前向きに生きることに取り組んでいきます。
写真は、その仕出し弁当
ウナギの、「笹むし」ごはんは、初めて食べましたが、上品な味でした。
チョイスしてもらった日本酒は、私はあと半年は飲めないので、冷蔵庫で前向きに保管です(^^)
2023年09月06日
夏野菜を食べたい。。。 お散歩フォトライター
9月6日
お久しぶりです。
大阪大学医学部附属病院を退院して、1週間たちました。
体調的にはほぼほぼ、前のレベルに近づいてきました。
尿意も退院時は20回/日前後だったのが、ここ数日は10回前後におさまり、小一時間トイレを気にしなくてよくなりました。
入院時40回/日でピーク49回だったことを思うと、なんとありがたい事と思います。
おかげで、夜も1回か2回トイレに起きるだけでよくなったので、よく眠れる感じです。
そうなると、散歩に出たくなります。
昨日、朝食後少し歩いてみましたが、あっけなく引き返しトータル500歩でした。
さすがに病院内とちがって、外部は蒸し暑いです。
今日はすこし慣れが戻って、1600歩ほど歩けてきました。
そうなると、お腹も減るので、暑くても満足できるものを作ることにしました。
単純にマーボー豆腐です。
ひき肉と玉ねぎみじん切りは準備しましたが、味漬けは市販の箱の物そのままです。
(味覚が相変わらずおかしいので、目分量でやると、とんでもないものが。。。)
マーボー豆腐にあわせるとなると、さっぱりした新鮮野菜などをつけたいところですが、現在生食の禁止のものに 野菜、果物がふくまれてしまっていて使えません。
入院中、ほかの人は生のバナナやオレンジが提供されているところ、私はパインやミカンの缶ずめでしたから。。。
冷蔵庫を見るときゅうりがありました。
3回目の入院前なら軽く皮をむけば、味噌、マヨネーズなど付け放題で食べれました。
夏野菜も秋の果物もおいしい時期なのに、食べれなとなるとどうしても気になります。
ではということで、きゅうりを輪切りにして、マーボー豆腐のとろみをつけるあんばいの時に、フライパンに入れて熱をかけることにしました。
あまり速いと、きゅうりの水分がでてしまうので、とろみで覆って水っぽさをふぐことができました。
これで、「マーボー豆腐夏野菜バージョン」の完成です。
味的には、温キュウリという感じですが、まだ口内が荒れている私としては、マーボーのたれ一辺倒よりは、マイルドでありがたい感じでした。
こんなふうに、野菜などぜひ多く摂取できるよう検討します。
もっとも、リンゴは煮たりせず、せひぱっきという音がするシナノゴールドを食べれるように、早く体調をさらに戻したいですね。
写真は、マーボー豆腐に投入したきゅうり
見た目も、緑は、マーボー豆腐の中ではライトな色がはえていい感じです。
2023年08月31日
激動の約1週間(5) お散歩フォトライター
8月31日
前回は、台風7号の大阪到来前に、どうにかこうにか大阪自宅に、真夜中にたどり着いたころまででした。
明日、8月15日に大阪大学医学部附属病院に出向けるのか心配ですが、まずは横になって休むでした。
ところが、尿意間隔がいよいよ20分前後となり、横になってはまた起きてを繰り返し、寝れない状態でした。
さらに、血尿が赤いだけでなく、ゼリーの塊のようなものが尿の最後にでるようになり、これが尿管内にあると息ができない状態においこまれました。
このままだと唸り声がでてしまうので、必死に息を吐きだしゼリー状の塊が通過するのをひたすら待つ状態です。
それまで、排尿時だけだったのが、通常から痛くなりだしたのも夜からでした。
もんもんとしたまま、朝を迎え、9時には阪大のコーディネーターさんに連絡がつながり、信大の時と同様に、まずは阪大で一般診察をうけてほしいとのことでした。
また、担当医が不在なので、別の血液腫瘍内科の先生の診察になることもこのとき聞きました。
とりあえず、大阪自宅から阪大にむけて10時前に妻の運転で移動を開始したのですが、その時すでに、街路樹の枝が横殴りの暴風状態になっていました。
車も人もいないので、暗い状態もあいまって、朝6時まえに運転しているのではと一瞬思えるくらいでした。
妻は普段よりスピードを落として、並木がある道を中心に運転してくれていました。
その並木の折れた枝が飛んできて、何回も車のフロントガラスや天井にあたるのは、その都度ドキドキさせられていました。
金属製のごみ箱が、車道の中を風に自由に拭きさらされて、前方を左右にスライドしてふさいでくるのは脅威でした。
普段通る高架のバイパスの道だと、ふきっさらしなので、もっと大変な状態だったと思われます。
なんとか、車にほぼ損傷のないまま阪大に到着したときはほっとはし、すぐトイレに飛び込みました。
暴風真っ只中なので、患者数はかなり少なく、先生や看護婦さんも通常数をそろえられていないようでした。
結果あまり待たずに受付ができて、信大の時と同じで、血液と尿検査をしてその結果で診察となりました。
1日前より、痛くて一晩中ねむれなかったことを先生に話すと、即入院の指示がでました。
通院で何とかと思っていた、薄い期待が亡くなった瞬間でした。
そこから、妻が入院手続きをしている間に、私は検査が立て続けにうけました。
超音波、CT、レントゲン、心電図などなど、通常の混んでいるときだと2日間かかる内容を半日で検査を受けました。
最終的に膀胱の壁が厚くなっているので、ここが炎症しているということになりました。
ただ、この状態でもまだ症状の初期だったようで、最短の時は10-15分間隔でトイレにいくようになり、尿意も15秒我慢できない状態となったので、尿瓶のごやっかいになることになりました。
別の日のブログにも記載したように、尿の培養検査で分かった、BKV(ポリオーマ)ウイルスにやられたのですが、このウイルスは通常みな体内に持っているものとのことです。
つまり、今回は外部からのウイルスなどでなく、体内に元々あるウイルスが増殖した結果炎症が拡大したようです。
暑い8月の移動や、家の片づけなど自分が思っている以上に、体にストレスを加えてしまったようです。
相対的に見るため、活動量計(万歩計のような装置)からの数値をまとめてみました。
・8月安曇野移動直前の8日間の平均380kcal
・8月安曇野帰省時の8日間の平均794kcal
・入院中の直近8日間の平均421kcal
安曇野移動前、朝さんぽはしてもあとは自宅で、持ち物ややることリストまとめ中心だったので活動量低め。
帰省後は、片づけで何かどうか動いていたようで帰省前の2倍動いていた。
入院の現在は検査などで長い廊下を歩くので、帰省前より動いていることが多い。
以上から、この8月の暑さのほかに、急に動いたことで体にストレスになったのかと推測できます。
入院がきまり、闘病中の8月18日に母の葬儀を、長男が喪主を無事に勤めてくれました。
息子二人だけで協力して、なんとか納棺、出棺、葬儀まで対応してもらえて、ありがたいかぎりです。
式後の精進落としの食膳の席の様子は、ライン動画でみせてもらい、集まった親戚の人たちと手を振って確認しあいました。
この辺が、ネット社会のメリットですね。
もちろんこちらは病服の姿で、親戚は喪服の姿なので、場違い感は満載でしたが(^^);
その後、この血尿の状態が入院から10日間ほど続いたのですが、やっと数日前から安定し、見た目血尿や赤いゼリー状のものはでなくなりました。
3日前に水の点滴(1.5リットル/日)と、2日前に入院時から追加されていた炎症止めの薬が使用終了となりました。
そして昨日、8月31日に退院していいと、主治医からつげられました。
条件は、
1.発熱することがあったらすぐに24時間いつでもいいので、阪大に連絡すること
2.水の点滴をやめているので、最低でも1.5リットルの水分を補給すること。
3.ストレスを減らすこと。
暫く自宅での療養ですが、今度こそ無理せず全快に向かいたいですね。
これで、「激動の約1週間」のシリーズは終了です。
写真は、退院が確定しての内祝い高級アイス。
美味しく、いただきました。
2023年08月27日
激動の約1週間(4) お散歩フォトライター
8月27日
前回は、母の葬儀を控え、慢性GVHDの疑いによる膀胱炎で入院するかどうかで、さてどするかというころまででした。
その時、妻が「大阪に帰ろう」といった言葉で、はっとしました。
というのは、通院するにしろ、信大に入院するにしろ、リスクがあり迷っていたからです。
それぞれのリスクとは
・通院の場合
現在症状の初期なので、悪化する可能性が高い。
その場合、結局入院となり、法事を途中で投げ出すことになる。
法事を行っていても、今の尿意の間隔がさらに20-30分と早くなったら、法事どころではない。(実際大阪入院後は10分間隔にまでになった)
・信大に入院の場合
法事の期間およびその後も大学に見舞いなどで動けるのは妻だけだが、移動手段が限られる。
法事を息子たちに引き継ぐので、婿らは私の対応をしてられない。
例え、私のミッションタイプRを息子たちが使って、妻が息子たちのオートマ車を使うにしても、土地勘もない上に明日以降台風で荒れる中を運転任せられない。
この考えで、頭が回らない状態になっていました。
散歩でもしてなんとかその状態から脱したいところでしたが、点滴をうけたままなので、何とか動くのがやっとのままでは無理ですね。
妻の言葉に了解してから、今度は一気に「大阪帰還強行突破モード」になりました。
妻が主治医に阪大への今回の診察結果を連絡してもらうように依頼し、私はその間、大阪までの移動に耐えられるよう点滴を追加されていました。
大阪に戻るうえでのネックは今回関西に被害をもらした、台風7号の動きでした。
お昼12時半の段階で、どうみても関西直撃コースにすでになっていました。
私は、長男に葬儀の喪主の引継ぎと段取りを連絡始め、妻は次男に今後の交通状況の確認と16時以降、大阪に行きつける列車の接続情報を依頼しました。
わたしが、ざっくりの話を長男にしたところで、妻のもとに明日8月15日は飛行機はもちろん在来線特急、新幹線ともに始発から動かないとの、まとめられた情報が次男からもたらされました。
追加点滴を受けつつお昼を食べていたら、16時以降の各松本発特急しなのに対し、大阪池田に何時になるかのリストが次男から届きました。
普通に池田駅まで、列車のりつげる最後は松本19:07発で、そのあとの最終しなの松本20:32発では新大阪から乗り継ぎと徒歩を多くくりかえすか、タクシー移動しかない状態でした。
追加点滴がなんとか終わり、会計まで済んだところですでに15時でした。
19時より前の、松本17:52発しなのにも間に合いそうな時間ですが、一旦自宅に戻り帰りの荷物をまとめなくてはなりません。
また、14日は安曇野花火のため、すでに周りの道の混雑していると自宅から病院に移動してくれた次男の報告もあり、松本17:52発はかなり厳しそうです。
それでも16時前後に病院から穂高の自宅もどりつきました。
私は葬儀の書類や段取りを実際長男に引き継ぎ作業をし、妻は持ち帰りの荷物をスーツケース1つにまとめあげました。
一時間かけず、17時前自宅から松本駅へ次男の車で移動を開始しました。
車だと途中花火渋滞のおそれもありましたが、穂高駅からの列車移動にしなかったのは、私の自力移動を極力減らすための選択でした。
松本駅への移動中、何台もの花火会場行きの臨時バスとすれ違いました。
それでも、花火開始に時間があったおかげで、松本駅には17時40分前後には着くことができました。
ただ、今回は約10分後の特急に飛び乗るのはやめました。
19:07発のしなのと。それに接続する名古屋からの新幹線の指定席をしっかりとり、列車内で食べれるおにぎりなどを購入し、待合室のベンチにひとまず落ち着きました。
とにかく無理をせず、でも今日中に帰宅するが、今回のミッションですから。
列車を乗り継ぎ新大阪に無事に移動できましたが、のってきた新幹線が本日大阪着の最終の2本前でした。
しなのは席は半分ほどのお客さんでしたが、新幹線はほぼ満席でした。
やはり、明日全面的に新幹線が止まるための事前移動という感じのお客さんたちです。
移動の間は、30分間隔ほどでトイレを繰り返し何とかしのいできました。
地元阪急池田駅からタクシーに乗って大阪自宅にたどり着いたときは、ほぼ0時でした。
何とかたどり着けたというところですが、実は明日が関西台風本番ということが懸念材料でした。
実際どうなったのかは、話が長くなるので、この先は後日とさせてください。
写真は、大学の診察の合間から移動の最後まで、にらめっこしていた気象庁の情報
どちらが先に大阪に着くのか、まさに競争の感じでした。
気象庁hp 台風7号14日 お昼の位置
https://www.data.jma.go.jp/fukui/shosai/PDF_news/2023/20230814_T2307.pdf